プロフィール PROFILE

ごあいさつ GREETING

みなさまからの真心のご支援を賜り、心より御礼申し上げます。

やえがし 善幸は、初当選の日より、みなさまのご期待にお応えするため、地元豊中の、そして大阪のためにとの思いで、全力で働かせていただいております。

特に4期目となる2019年以降は、世界的な厄災とも言うべきコロナ禍という未曾有の課題に対し、公明党の地域に根ざしたネットワークを総動員しながら、どこよりも早く生活支援、経営支援、医療体制の拡充へと奔走して参りました。

度重なる災害、「防災・減災」への取り組みは、今後最も重要な課題であります。わたし自身も最優先で取り組むべき事業であると感じております。

2011年に発生した東日本大震災の後、わたしの故郷である岩手への復興支援を、関西広域連合の中で大阪府が担当することになりました。そこで生まれた多くの新しい繋がりには、とても不思議なご縁を感じました。

そうした切実な思いを胸に、議会においては災害時の対策や復興復旧支援の備え、また防災・減災の取り組みなど、さまざまな角度から提案し、数多くの事業の実現を勝ち取って参りました。

しかしながら毎年のように起こる震災や豪雨、台風などの被害を見るにつけ、今後更なる対策が必要であり、まだまだ、なすべきことが山積していると感じております。

いま大阪は、2025年の万国博覧会の開催や、2037年のリニア中央新幹線の開通など、発展・成長を期待される明るい話題も出ております。

今後も引き続き、大阪の更なる発展と安全安心のまちづくり、心躍る豊かなまち「大阪」の構築へと全力で取り組んで参ります。

みなさまには今後とも、更なるご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

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ヒューマンヒストリー HUMAN HISTORY

出身は岩手県北上市。2人兄弟の長男で父母、祖母との5人家族。岩手の豊かな大自然のもと、日々野原を駆け回りながら、のびのびと育ちました。

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高校は伝統の県立黒沢尻北高校。当時の岩手県内には、旧制中学からの進学校では当たり前でしたが、バンカラの伝統が残っており、まさに質実剛健を地で行く硬派な高校でした。

新入生歓迎行事の中で今も続いているようですが、バンカラ姿の応援団員が連日、授業前に応援歌練習を行います。応援歌の数も多く、この歌詞を毎日暗記してきての練習は、声が出ていないと厳しく指摘されます。1年生の最初から極度の緊張の毎日で、さすがに精神状態がおかしくなりかけます。しかし、この厳しい応援歌練習こそ、黒沢尻北高生へと脱皮する儀式でした。高校一年生の時、父が急に倒れ、42歳で亡くなりました。この時、親戚の方から、今の時代は、希望さえすれば、必ず進学できる。善幸は大学に行きなさい、と激励を受け、この時から毎日3時間睡眠、受験勉強漬けの日々を送りました。

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大学は、岩手大学農学部農芸化学科に進みました。

1、2年の時は、どっぷりとサークル活動に明け暮れたお陰で、単位が足りず、4年生で研究室に正式には入ることができませんでした。しかし、生化学教室の教授の寛大な計らいで、他の生徒と同じように研究室での研究を許され、四年間で無事卒業することができました。

大阪本社の外資系製薬会社に就職し、3ヶ月の大阪での新人研修の後、最初の赴任地は、山形県でした。

ここでの7年間の生活は、私の人生において重要な位置を占めることになります。

まず何より、営業という職種柄と会社の担当者が私を含めて2人だったことから、山形県全域を隈なく歩かせて頂きました。

山形は温泉郷も多く、それぞれに特徴を持つ温泉街が県内に数多くあり、日本の親会社の大日本製薬の担当者と、毎月会議と称しては温泉を泊まり歩きました。

酒田や鶴岡といったいわゆる沿岸部の庄内地方は、魚の美味しい地域ですが、米どころでもあります。美食漫画「美味しんぼ」に出てくる日本一美味しいお米は、庄内余目(あまるめ)産のササニシキとあります。必然的にお寿司も美味しいお店が沢山ありました。

また、ラーメンの美味しいお店も数多く、中には酒田の「ル・ポットフー」など、わざわざ東京からバスツアーが組まれるフランス料理の店もあります。意外に思われるかもしれませんが、山形は、美食の街です。それもそのはず、山形の人々の真面目な性格が、農産物や果物によく出ています。最初はとっつきにくく、なかなか心を開いてくれませんが、親しくなると、生涯にわたる深い絆が築かれるのも、情の厚い山形人の気質と思います。

とにかく、7年間の在住で、山形県を堪能しました。と同時に、縁あって、取引先の医薬品卸会社社員だった妻と結婚し、人生の節目も迎えることになりました。

こうした後、大阪本社へ、営業本部マーケティング部プロダクトマネジメント課で新製品のマーケティングを担当することになり、転勤して参りました。

大阪では、激動の人生でした。一年度には、新製品の販売が思うようにいかず、全国の営業本部が大リストラすることになります。

私も再び営業に戻り、大阪での慣れない関西弁での営業になかなか馴染めませんでした。そんな折り、縁あって退職し、某新聞社の販売店へと転職します。また、その10年後の平成19年に、豊中市選挙区から大阪府議会議員へと挑戦をする機会を得ました。

これまで、様々な経験をして参りましたが、議員という職業は、広範多岐にわたる幅広い知識が求められており、これまでの経験が全て活きる職業と感じています。また、これまで知らなかったことも沢山築かされることの毎日でもり、日々勉強をし続けなければならない仕事でもあります。1人の人に寄り添うためには、まさに議員の様々な力が試されています。日々精進し、多くの方のお役に立てるようこれからも尽力して参ります。

庶民の街「大阪」は、東北人の私の性格とはまったく真逆のように感じますが、過ごしやすく居心地が良く、壁をつくらず誰とでもすぐ溶け合う、飾らないところが大好きです。

これからも、この街の発展のために、全力で様々な課題に取り組んでまいりたいと思っています。

今後とも皆様からの貴重なご意見を頂きますことと、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

  • 略歴

    ● 学歴:県立黒沢尻北高校卒業、岩手大学農学部農芸化学科卒業

    ● 職歴:サール薬品(現ファイザー製薬)で、MR、マーケティングを経験

    ● 議員歴:平成19年4月 大阪府議会議員(豊中市選挙区)初当選(現在4期目)

    ● 議会:公明党大阪府議会議員団 副団長、日ロ友好親善議員連盟 副会長、大阪府私立幼稚園復興議員連盟 副会長、府民健康福祉常任委員会 委員、関西広域連合議員

    ● 党役職:大阪府本部 幹事長代行、豊中総支部 総支部長

    ● その他:大阪日口協会 理事、関西宮沢賢治の会 副会長、関西岩手県人会 常任幹事、関西山形県人会 幹事

  • プロフィール

    ● 名前:八重樫 善幸

    ● 生年月日:昭和39年3月9日

    ● 出身地:岩手県北上市出身

    ● 趣味:音楽鑑賞、ドライブ

    ● 好きな言葉:「何かを変えようと思えば、まず自らを変えなければならない」

    ● 尊敬する人:宮沢賢治、上杉鷹山、大谷翔平

    ● 家族構成:妻 1男1女

  • 大阪府
  • 公明党
  • 公明党大阪府議会議員団